ハマグリの種苗生産・放流について

 戦後の高度成長時に相次いで行われた埋め立てや、名古屋港防潮堤の建設、地下水のくみ上げによる地盤沈下などの影響で、多くの干潟が失われ、ハマグリの水揚げが激減しました。

 ハマグリの減少に危機感を持った当時の若手漁師が、「後世にハマグリを残したい」との強い熱意を持って、種苗生産の可能性について技術開発し、実用化に向けた取り組みをはじめることとなりました。

 

 

昭和20年頃の木曽三川河口周辺の様子。広大な干潟が広がっていた。

 

現在の木曽三川河口周辺の様子。ほとんどの干潟が失われた。※赤で示した部分が干潟

 

 

昭和40年代に3,000トンの水揚げがあったハマグリは、昭和50年代から激減し、平成7年には0.8トンまで落ち込みました

 

 

 

 

 昭和51年から組合内に研究会を発足させ、一貫した種苗生産に取り組み始めました。

 当初は慣れない作業の連続で、水温や水質管理に失敗したり、餌となるプランクトンの培養がうまくいかなかったりと苦労が絶えませんでしたが、試行錯誤を繰り返しながらも、徐々に安定した種苗生産ができるようになりました。

 近年では100~200万個生産できるようになり、毎年、木曽三川の河口付近に放流を行っています。

 

種苗生産施設での作業風景

施設で生まれたハマグリの赤ちゃん(D型幼生)

 

 

 種苗生産・放流以外にも漁業者は、徹底した出漁制限・漁獲規制を続けるとともに、失われたハマグリのすみかを再生すべく、平成5.6年に長島沖・城南沖に人工的に干潟を再生させました。

 過去30数年にわたるハマグリ種苗の生産や稚貝放流などの地道な取り組みにより、近年ハマグリの水揚げが徐々に増えてきており、名産ハマグリ復活のきざしが見えてきたところです。

長島沖の人工干潟

 

地元の小学生達と「大きくなったらまた会おう」のかけ声とともに放流しています。